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2009年7月13日 (月)

与野党逆転時に、なぜ、共産党は、弱いのか。

 一昨年夏、参議院において、自由民主党・公明党が少数になった。そのとき、日本共産党の議席獲得は良くなかった。

 今回、都議会において、自由民主党・公明党が、同じく、少数になった。そして、日本共産党は、議席を減らした。

 もし、来るべき、衆議院総選挙において、自由民主党・公明党が、過半数を割り、民主党他が、多数を占め、日本共産党が、議席を減らすようなことになれば、日本の国政は、結局、反動化するでしょう。私は、そのことを、強く、憂うる者です。

 臓器移植法改正案の衆議院における採決において、何故、日本共産党議員は、全員棄権したのでしょうか。日本共産党員には、思想の自由は認められないのでしょうか。他の政党は、この問題については、党議拘束を避けることが一般的でありました。食べ物の好き嫌いの類まで、党員は一致しなければならないのでしょうか。(日本農業の在り方と絡んで、ご飯かパンか、ということが、問われることは、ないとは言えません。)「脳死」の子どもの生命のあるなしは、医師だけで決められる問題ではなく、極めて個人的に異なる判断が認められるべき問題です。このようなことが、一般国民から見ると、党員の不自由を感じさせるのです。改められるべきです。

2009年7月11日 (土)

明日は、埋葬墓地の清掃があります。

 昭和40年頃まで、臨済宗の慈泉寺の檀家と円通寺の檀家は、土葬を行って来ました。

 しかし、浄土真宗本願寺派の安養寺の檀家と西明寺の檀家は、火葬を行って来ました。火葬と言っても、墓地の一角にあった粗末な施設において、遺族が行っていました。

 土葬は、不衛生であると言われて、和坂の市営の火葬場で、火葬されるようになりました。安養寺・西明寺の檀家も、和坂の火葬場を使うようになっていると思います。

 鳥羽新田では、毎年、1回、7月後半に、埋葬墓地の清掃を行います。大窪の浄土真宗興正派光触寺の檀家も、創価学会の方々も、参加されます。

 埋葬墓地は、三昧にあります。主として4ヵ寺の檀家が隣接して、使用しています。

 序に、言っておきますが、明石市内でも、浄土真宗本願寺派の寺であって、元被差別集落とは無関係の寺が唯一つあります。大観町にあります。正得寺です。

 ご存じない方が多いと思いますので、お伝えします。禅宗の中の、臨済宗のことですが、臨済宗のどの派にも、元被差別集落の檀家は、正式には(と言うのは、私が、無理をして、元被差別集落の出身者を、臨済宗南禅寺派の寺の檀家にしてしまったことがあります)、一戸もありません。また、「新宗教」を、一つも、産んでいません。勿論、日蓮宗系の「創価学会員」になってしまっている者は、(私の息子のように)愚かにも、いることは、います。臨済宗は、元来一番古典性の強い仏教の宗派なのです。

2009年7月10日 (金)

暇ができましたので、スロー・ジョギングと読書でも始めましょうか。

 スロー・ジョギングを始めるのに丁度良い、少し広い庭があります。

 読書予定図書は、机の上に、並べてあります。

 歯のインプラントが終われば、山口県か、岡山県へ、温泉旅行に行きたいと思っています。家のセキュリテイは、関電SOSを含んで、2重になっています。無線の非常連絡ベルもあります。警察官・消防士も駆けつけます。何も、盗んで持ち帰るようなものは、全くありませんが、気分の問題です。兎に角、備えは万全です。

 住宅敷地内に、畑を貸しています。特別に、気心の知れた人ばかりです。番人をしてくれています。

 まあ、のんびりしましょう。妻には、若い時には、特別忙しくさせました。心ばかりの、感謝です。

2009年7月 8日 (水)

「貧乏人」の中で、このような人は、嫌いです。

 「貧乏人」と呼ばれている人の中にも、私が好きになれない人がいます。

 先ず、借金をして、返さない人、言い換えるならば、返却するつもりも、返却する能力もないのに、借金を申し込む人です。貸与ではなく、供与と言い出すべきです。

 次に、借金生活をしながら、パチンコ店通いなどをして、お金を浪費する人です。私でさえ、そのような浪費は、しません。株式なども、買いません。宝くじも買いません。

 友人、親せきを問わず、このような人は好きになれません。

 「コミュニスト」も、人間です。経験から言っているのです。

2009年7月 6日 (月)

田中耕太郎さん、頑張った。

 井戸敏三(自民・公明・社民・民主相乗り)さんと、田中耕太郎(共産推薦)さんの戦いがありました。

 井戸さんの県民に対する「参画」「協同」「共生」「連帯」の宣伝が、「公立高等学校入学試験総合選抜制度」を守る運動をして来た、私たちにとっては、完全な「嘘」であることは明らかであったこと、そして、「自由民主党中央」と、文教政策の一部分を除いて、「完全に一致」している、と「兵庫東大会」において、自ら、胸を張って、断言していたことから、井戸さんが「官僚的」であり、目が何処を向いているか、ということは明らかであります。

 そのうえで、個性とでも言うべきか、「赤字経営の但馬空港建設済み」「神戸空港から関西空港まで、地下道を作りたい」など、大型工事が、大変、お好きです。そして、県立病院の統廃合をしようとします。

 これに対して、田中さんは、自治会活動もされながら、神戸大学経済学部を卒業して後、尼崎民主商工会事務局長、明石民主商工会事務局長などを、40年近く勤めて来られて、庶民の暮らしと仕事に、直接関わり援助して来られました。医療・教育・福祉全般に、力を入れたい、と訴えて来られました。井戸さん以上に事情に明るくもありますし、情熱も十二分あります。

 結果は、井戸さんが108万票を得て勝ちましたが、全地域において、前回よりも、得票率は下がりました。それに対して、田中さんは、同じタイプの選挙戦において、過去最高の49万票を獲得しました。これは、8月上旬に行われるとされる、衆議院の総選挙において、日本共産党が躍進する前触れのように思わせます。

 田中さん、よく頑張られました。ご苦労様です。

 コメンテ―タ―が言われる通り、衆議院議員選挙・参議院議員選挙・県会議員選挙と続きますね。着実に、「保守2大政党制」を、無くして行きましょう。

 

2009年6月28日 (日)

不思議なことを知る。

 今日、柴田やくえさんの葬式がありました。身内だけで、行うということであったのですが、町内会会長と寿老会会長が、定められた香奠を持って、列席されることが、分かっていました。そして、昔、庄屋であった家の子孫も、列席すると言われた故、私も出席しました。香奠は、受け取ってもらえませんでした。

 喪主は、柴田浩行さんでした。喪主の祖父が、私の家の「おとこし」をしておられました。なかば、封建的であるのですが、その祖父は、私の祖父の位牌に向かって、「親方さま」と言って、手を合わせておられたのを、私は、見聞きしたことがあります。

 列席者は、柴田家の親族が、私たち4名の他では、全てでありましたが、私の村から離れて、明南町に住んでおられる井上富雄さんが来ておられました。私の村では、1660年から住み続けている「井上家」(勿論、江戸時代には、「井上」などという姓はありませんでした)は、3軒なのですが、私の家と異なる「井上家」の一つの本家です。何とまあ、柴田家は、その「井上家」の分家(新宅)(分家が何故「井上」でないのか、疑問は残りますが、「養子」に行ったのではないでしょうか?)であったと言われるのです。私の家の「おとこし」が、本家ではないものの、立派な、独立した家の主(あるじ)であったのです。何か事情があって、貧乏されたのでしょう。私の家が、農業の他に質店も営んでいましたので、田畑を質流れさせてしまったのでしょう。

 身近なことで、私の知らないことが、一杯あるのだなあ、と思いました。

2009年6月27日 (土)

野中広務さん、語る。

 野中広務さんは、語りました。『しんぶん赤旗』記者との「特別インタビュー」の中においてであります。

 日米間には現在、安保条約があるだけで、平和友好条約はないです。やはり日米平和友好条約を結べる環境をつくらねば、日本はいつまでたっても米国と対等になれないと思います。

 私自身は、憲法について、9条2項を変えて自衛隊を認め、しかし海外へ出さないという規定にすべきと考えています。あなた方とは違うかもしれないが、これが実現しないうちは、9条を含めて現在の憲法を守るべきだと思います。

 野中広務さんは、小渕恵三内閣で内閣官房長官を務め、元自由民主党幹事長でもあります。01年10月、衆議院本会議にテロ特措法案の採決がかかったとき、本会議場を退場して棄権しました。03年6月のイラク特措法案が採決にかかったときにも本会議場を出て棄権しました。この法案が自由民主党総務会に示されたとき、自衛隊の派遣については慎重であるべきだといったのは、野中広務さんと野呂田芳成さん、谷洋一さんの3人でした。あとの議員は「こんなときに何をいっているのだ。自衛隊を派遣するのはあたりまえじゃないか」といっていました。

 野中広務さんは、立派な人です。なお、京都府の元被差別部落出身であると、最近出版された『差別と日本人』という共著書のなかで、言っておられます。

2009年6月25日 (木)

鳥羽新田八幡神社のこと

 まちの記憶 うつろう明石の情景 

 鳥羽新田八幡神社     集落拡大の中心に

 鳥羽新田村の興りは、江戸時代の1660(万治3)年と伝えられる。林村から鳥羽村を経た10戸、大窪村から2戸が移り住んだといい、鳥羽新田八幡神社も同年の建立とされる。

 ほどなく林崎掘割が拡張され、水を得た村は潤う。最初の12戸は移り住んでから約350年がたつ。その1軒で、子孫に当たる井上喜博さん(74)=鳥羽=は「戦時中、国民学校への集団登校で毎朝、神社に集合しました。道中は田んぼばかりでした」と話す。

 井上さんは「神社は村の中心で、私には大きな存在」と話し、にぎやかだった秋祭りを振り返る。家の長男は笛と太鼓、次男や三男は獅子舞を担当したという。「だんじりも出て、明石の街まで練り歩きました。勉強中に上級生(?)が家に来て『練習に来い』と言われ、大変でした」と苦笑する。 (?)は、井上がつけた。同級生以下が多かった。

 田畑が広がっていた神社の南側も、昭和30年代ごろから次々と家が建ち始め、今は住宅地になった。周囲の風景は一変したが、神社は鳥羽新田村の歴史を伝えている。

                神戸新聞社明石総局   永田憲亮

 コメントにお答えします。江戸時代には、永代にわたって農地売買が禁止されていました。ただし、質流れだけは容認されていました。私の家には、質店を経営していた跡が、建物に残されています。

 私の家は、約10町歩の、JR西明石の駅の北側では、最大の地主でした。農地改革のときは、元地主で、明石市での上限、1町8反(1.8ヘクタール)を所有することができました。分家が、専業農家であったので、数反、名義を無償で貸しました。しかし、後ほど、元蚕糸試験場、当時、農事試験場から、桑畑を、数反、返却してもらいました。結局、1.8町歩程所有することになりました。

 村の中には、4軒ほど、元地主がいました。元自作農は、2軒でした。他は、全て、元小作農でした。これらが、全て、新興自作農になりました。

 あまり知らされていませんが、農地改革後にも、小作制度は残っていました。小作料が、固定資産税・都市計画税より少ないぐらいに、公によって定められていました。勿論、金納でした。

 アメリカ軍に占領されたから、農地改革が行えた、とも言われますが、そうではなく、人類史の流れによることであったと思っています。

2009年6月23日 (火)

久しぶりの仲間との会議です。

 春以降、気疲れで休んできましたが、今日は、出席します。

 県知事選挙、衆議院議員の選挙、と多忙です。ニュース配布はしていますが、全体が良く掴めていません。知りたいです。

 先日、日本共産党が、衆議院において、臓器移植法改正をめぐり、棄権しましたが、あれは、一般の国民に対して、良い印象を与えなかったのではないか、という意見が圧倒的多数でありました。

 科学的社会主義(マルクス主義)においては、価値判断・倫理・道徳の問題が、一番苦手のようであります。

 私は、道徳教育においては、集団生活の基本的ルール、それに加えて、自他の基本的人権の尊重を、子どもたち全員に、きちんと、教え込み、それ以外、例えば、ルノワールとヴァン・ゴッホのどちらが一層素晴らしいか・・・については、個人の自由に任せる、そして、他人が強制してはしてはならない、その自他の自由を尊重するように指導する、という考え方を持っています。このような考え方は、科学的社会主義にとっても、参考になると思っています。

 自然史・社会史の捉え方おいて、唯物論の立場をとることは、近代科学的であって、真へ至る道であると思っていますが、その歴史の流れに乗ることだけが、善であるとは、限りません。自由の幅が存在すると、私は、考えています。選択の余地が存在すると、思っています。アジア・太平洋戦争において、国民全体の大きな流れに逆らって、日本共産党員は戦ったではありませんか。

2009年6月22日 (月)

昨日は父の日でした。鳥羽新田八幡神社の古い写真が見つかりました。その他。

 昨日は、夏至で、また、父の日でした。妻は、昼食に特大弁当(すし)を食べさせてくれました。娘夫妻は、フランス菓子「フロマージュ」を送ってきてくれました。後期高齢者になる前の最後の父の日でした。平和です。

 明石が町から市に変わったのは、大正8年のことです。大正8年に、『林崎村郷土誌』(金井作次郎編・林崎村役場発行)が、非売品として出版されています。それに、「鳥羽新田八幡社」の写真が掲載されています。神戸新聞のカメラマンが欲しがっているそうです。記事の参考文献は、4通、ファックスで、神戸新聞明石総局に届けてあります。松の木が高く多く、見られます。鳥居の南側には、茶畑が見られます。のどかですね。

 話題を変えます。私が元被差別部落出身者であると、思っていた人を、列挙します。

 元神戸大学教授、杉山明男、元武庫川女子大学教授、安達五男、元武庫川女子大学事務局長、荻野八郎、元滝川中学校教諭、朝田勲、中学校同級生、小林茂保・浅沼克次、高等学校同級生、村田文雄・角谷政保・田中利男、妻元同僚、白井淑子・・・

 部落問題研究者(2名)、元被差別部落出身者(5名)が、圧倒的に多いですね。中途半端な知識に惑わされているのです。正確な知識を持ちましょう。

 1660年から、生まれたばかりの鳥羽新田村に住み着いている人の子孫は、次の通りです。

 岸本真治(かやみさん)、岸本孝是(へいだはん)、岸本佐市(じんべはん)、岸本一夫(くまいったん)、井上喜博(よいちろはん)、井上郁子(いさむさん)、井上ふみ子(きよいったん)、澤田則雄(じろうべはん)、澤田一雄(かずいったん)、山口里志(うえはん)、山口靖彦(きいはん)、岩佐克彦(まさいったん) 計12名

 全部、揃っているのですね。

 鳥羽新田村について、補足。

 土地の広さは、17町歩(17ヘクタール)超です。町内会員数は、50軒です。戦後、移住してきた人々は、加入させていません。子ども会の範囲だけでも、80軒以上おられるでしょう。子ども会では、移住してきた人々の子どもが、約30名、鳥羽新田町内会の子どもが、数名です。寿老会で、75歳以上が、約30名(男性約10名、女性約20名)、移住してきた人々で、75歳以上が、3名位です。陰で他人の悪口を言う代表的な人物は、岸本雅之・澤田一郎です。自由民主党の後援会長と自由民主党員(自衛官の父)です。

 

«地区同協の総会において、「日本国憲法」の重要性を説く。